【佐賀・鬼丸町の偉人】
藩校・弘道館の教諭であった枝吉南濠の長男として佐賀城下鬼丸町に生まれる。幼児期より神童と賞され、23歳の時には江戸幕府直轄の昌平坂学問所に学び、同舎の舎長を務めた。
26歳で帰郷してからは弘道館の教諭や什物方などを務める傍ら、父・南濠の唱えた「日本一君論」を受け継ぎ、勤王運動を行った。1850年には「義祭同盟」を結成。この義祭同盟からは、外務卿、内務大臣を務めた実弟の副島種臣のほか、大隈重信、江藤新平、大木喬任、島義勇ら明治維新に大きな影響を与えた人材を多数輩出した。のちの明治政府の重鎮となる青年たちに慕われた神陽は、まさに「佐賀の吉田松陰」とも言える人物である。
1862(文久2年)、コレラに感染した妻を看病するうちに自らも感染、8月14日死去。享年41であった。
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