【大分・日出町の偉人】
安永7(1778)年、豊後国日出藩(現在の大分県日出町)の日出藩家老の家に生まれる。
13歳の時、儒学者・脇蘭室の塾に入門。その後、大阪にて中井竹山に学び、藩より高い学問の評価を受ける。享和3(1803)年、25歳で私塾を開き、翌年には藩校「稽古堂」の教授に抜擢された。
学校では儒学と作文を中心に教えたが、算術も重視し、また西洋科学にも関心をもつなど各分野に通じた。三浦梅園(みうらばいえん)・廣瀬淡窓(ひろせたんそう)とともに「豊後の三賢」と称され、多数の著書を遺す。代表的な著書に、西欧物理学を体系的に紹介した『窮理通(きゅうりつう)』をはじめ、政治や社会体制を論じ吉田松陰も目を通したといわれる政治書『東潜夫論(とうせんぷろん)』などがある。教育者としても多くの子弟を育て、多い時には130人余りの塾生がいたといわれる。
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