【鹿児島・阿久根の偉人】
戦国末期から、異国との交流も深かった鹿児島・阿久根の港町に生まれた寺島宗則は、薩摩藩侍医、シーボルトの門下生であった松木宗保の養子となり、長崎で蘭学を学ぶこととなる。わずか14歳にて医学、蘭学を修め、江戸にて蕃書調所教授手伝となるが、帰郷し島津斉彬の侍医となり、薩摩の藩近代化事業に携わる。江戸に復帰したのちは英語を独学で学び始め、文久2(1862)年には福沢諭吉らと幕府第一回遣欧使節団に翻訳方兼医師として参加するほどのものとなった。
明治維新後は初代の在イギリス日本公使や、外務卿として活躍。不平等条約の改正交渉などに外交面での尽力だけでなく、電信事業や造幣事業にも大きな功績を残し、日本の電気通信の父とも呼ばれる。
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