【宮崎・高鍋町の偉人】

寛保3(1743)年、日向国高鍋藩6代藩主・秋月種美(たねみつ)の長男として江戸の藩邸に生まれる。弟は、米沢藩の立て直しで知られる米沢藩9代藩主の上杉鷹山(ようざん)。

種茂は18歳で家督を相続し、宝暦11(1761)年、19歳でお国入りして初めて高鍋の地を踏む。旧弊にとらわれず、家柄が低い者でも有能であれば登用し、世界初ともいわれる児童手当制度を取り入れるなど、様々な政策を行った。この児童手当は、農民の間引きを禁止し、3人目の子どもから1日につき米2合、または麦3合を支給するというものだった。

優秀な産婆を大阪から招き出生率を高め、朝鮮人参を栽培して薬代に乏しい領民へ施すなど、福祉文化的土壌を整えたほか、特に教育改革に力を注いだ。安永7(1778)年に藩校「明倫堂」(めいりんどう)を設立し、身分に関係なく町民や農民の入学も許可する。一般庶民にも学ぶ機会を与えることで、領民全体の教育水準が高まり、ここから多くの優秀な人材が生まれたという。

 

 

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