【宮崎・高鍋町の偉人】

天保4(1833)年、江戸に生まれる。日向国(現在の宮崎県)高鍋藩十代藩主・秋月種殷の弟。塩谷宕陰、安井息軒らに学び、小笠原明山、本多静山とあわせて学問界の三公子と呼ばれた。29歳の時、小藩出身でありながら幕府の学問所奉行に任命される。翌年には若年寄格となり、将軍徳川家茂の侍読を兼ねた。これは外様大名の生まれとしては、前代未聞のことであった。

明治7(1874)年、兄の死去により家督を相続。西南戦争が起こると、高鍋の藩士の自重のため奔走する。幕閣の信任が厚かったため、薩長との対立が深まるとともに幕府よりしばしば招請があったが、種樹は病気と称して国元を動かず、藩の保全につとめた。

明治14(1881)年に東京から高鍋へ移り住み、それ以来、各地に漫遊して風流を楽しんで過ごす。すぐれた学者であり、画家としても詩人・俳人としても一流でありながら、極めて庶民的な文化人として知られ、淡快高潔の人であったと言われる。

 

 

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