【鹿児島・鹿児島市の偉人】

天保6(1835)年、今和泉島津家の島津忠剛の娘として鹿児島城下(現在の鹿児島市)に生まれる。21歳で徳川13代将軍家定の御台所(正室)となるも、その1年半後(安政5年)に家定が35歳で急死。篤姫は天璋院と号し、若き14代将軍家茂の養母として、その妻和宮とともに江戸城大奥をとりまとめた。

慶応4(1868)年、故郷の薩摩藩を含む新政府と旧幕府が争う戊辰戦争が起こる。実家の島津家が将軍の敵となったが、篤姫は江戸城に迫る西郷隆盛ら新政府軍に働きかけ、江戸城の無血開城に大きな役割を果たした。その後も新政府に徳川本家の存続を働きかけるなど、徳川家のために尽くす。当時の篤姫が出した手紙には、徳川家に嫁いだからには「当家之土(徳川家の土)」となる、と書かれている。

 

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