【宮崎・延岡の偉人】

1816(文化13)年日向国(現:宮崎県延岡市)にて、延岡藩士の父と商家の娘である母の間に生まれる。町人であった延陵の母は井上家に入ることが出来ず、延陵は豪商屋敷に下男奉公しながら塾で勉強に励み、馬術や武術を習得した。

江戸に出て北辰一刀流の道場・玄武館に入門。修行を積み、その腕を買われて幕臣にまで取り立てられる。1856(安政3)年に江戸に作られた講武所という武芸訓練機関では、剣術師範を務めた。

維新後、延陵は幕臣の中枢として徳川慶喜に従い駿府(現在の静岡県)へ移住。明治元(1868)年からは浜松城代に赴任、大政奉還の後も徳川家の恩を忘れなかった。職が無くなり生活に困った武士やその家族のため、傘、提灯の製造、紡績織物業等を身につける職業指導所を設立する。また、開墾事業として三方原に茶園・百里園を拓くほか、上新町から浜名湖に通じる運河を造成し、東海道の往来改善にも大きく寄与した。

1878(明治11)年、静岡県最初の国立銀行である第二十八国立銀行設立に尽力し、頭取に就任。1886(明治19)年には、家康公が名をなした浜松に東照宮を築く。この際、社殿を造設するための材木は高千穂から取り寄せたという。

 

 

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