【宮崎市の偉人】

宮﨑大田村の医師・福島邦成は、明治の当時まで渡し舟しか交通手段のなかった大淀川への架橋の必要性を訴えるも、その訴えは黙殺されなかなか許可されなかった。再三の行政への陳情の末、私財での架橋の許可が下り、福島邦成個人のみの私財で「橘橋」を完成させる。

橋の維持費のために少々の渡り賃は必要であったものの、橘橋は今までの渡し舟よりはるかに利便性の高い、交通の要所となった。しかしなにゆえか、近代宮﨑に大きく貢献した福島邦弘に対して残っている当時住民の評価は、「退庵(邦成)は大きな橋(箸)で飯を食い」という皮肉の言葉なのであった。

 

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