【熊本・山鹿市の偉人】
嘉永3年(1850年)、肥後国山鹿郡来民村(現在の鹿本郡鹿本町来民)の明照寺に生まれる。
上京して小学校長、埼玉県官吏を務めたのち、司法省に出仕。ここで現在の刑事訴訟法に当たる治罪法の制定に関わった。当時、司法省では外国との不平等条約改正のため広く人材を集め国内の法律の改正に取り組んでおり、奎吾は不平等条約(神奈川条約)の改正のため、保安条例制定などに尽力した。
その後司法官僚を経て貴族院議員となり、内務大臣や農商務大臣を歴任。そして、大正13年(1924年)に75歳で熊本県出身者初の内閣総理大臣(第23代)となる。親の教えの四恩(親、先輩、友、時世の恩)を忘れず、高風清節の士として努めた生涯だったという。
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