【熊本・山鹿の偉人】
明治7(1874)年、鹿本郡岩野村(現在の山鹿市鹿北町岩野)に生まれる。明治29(1896)年、東京帝国大学(現在の東京大学)工科大学造船学科に入学、卒業後すぐに海軍の造船官(軍艦の設計、建造から運用、修理までを担う技師)となる。
横須賀海軍工廠で国産軍艦の建造に貢献し、そこでの活躍が認められて造船の最先進国イギリスへ留学。イギリスで最新の造船技術や理論を学び、実習等を受ける。帰国後は艦政本部に出仕した。当時の日本が自力で軍艦を建造できるようになったのは、明治の末頃だった。そんな中、まだ30代だった野中は、日本の造船技術を次々と切り開いていくこととなる。
野中が設計・建造に従事した軍艦は、戦艦「金剛」「長門」をはじめ、巡洋艦「筑摩」「最上」、後の空母「赤城」など。海軍全盛期の連合艦隊の主力となる艦船ばかりであり、その技術は日本を世界トップクラスの造船大国へと成長させたとして、戦後も高い評価を受けている。
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