【大分・大分市の偉人】

享禄3(1530)年、豊後国府内(現在の大分市)に生まれる。天文19(1550)年、父・義鑑らが暗殺され宗麟は家督を継ぎ、第21代当主となった。しかし、その後も一部の家臣が宗麟の暗殺を計画するなど、家内は不安定な状況が続く。そんな中で、宗麟は当主として一族を統治し、また肥後(現在の熊本県)の菊池氏を滅亡させて支配するなど、勢力を拡大した。永禄2(1559)年には幕府の信任を得て九州探題にも就任するなど、権力を確立。この直後に出家し、休庵宗麟(きゅうあんそうりん)という法号を得る。

しかし、今山の戦いで龍造寺(りゅうぞうじ)氏に敗れ、肥前国の征服に失敗。この後に長男の大友義統に家督を譲り、天正5(1577)年にはキリスト教の洗礼を受け洗礼名を「ドン・フランシスコ」と名乗った。当時、山口で布教をしていたフランシスコ・ザビエルを豊後府内に招き会見をしたことでも知られる。キリスト教を信仰し、文化の受容に積極的で、領地に西洋医学を生かした日本初の総合病院を創設した。

 

 

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