【熊本県の偉人】
1893(明治26)年、熊本県球磨郡西瀬村(現人吉市矢黒町)に生まれる。貧しい家であったが働きながら海軍兵学校へ入校し、トップの成績で卒業。臨時調査課長、海大教官、調査課長、舞鶴鎮守府参謀長、海軍省教育局長などを歴任し、最終階級は海軍少将。
1941(昭和16)年に太平洋戦争が始まり、当初は勢いの良かった日本軍も、次第に戦局は悪化の一歩をたどる。そんな中、早く戦争を終わらせないと国力が持たないと判断した高木惣吉は、同郷の人吉出身で、当時毎日新聞の編集局長だった吉岡文六を訪ね、『竹槍では勝てない、飛行機だ、海洋航空機だ』という記事を掲載するなど、終戦のために力を尽くした。その後太平洋戦争の戦局の悪化にともない、内閣も解散。1945(昭和20)年、ようやく終戦を迎えた。
戦後は著述活動に従事し、著書に「太平洋海戦史」「自伝的日本海軍始末記」「高木惣吉日記」などがある。
熊本県人吉市で、遺族により「高木惣吉記念館」が運営されている。
漫画:白山ユキ
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