【大分県・中津の偉人】

天保5(1834)年、豊前中津藩(大分県中津市)の下級武士の子として、大阪にある中津藩蔵屋敷で生まれる。2歳の時に父と死別、一家は中津へ帰る。

安政元(1854)年、長崎に蘭学修業に出たのち、緒方洪庵の適塾で学んだ。安政5(1858)年、25才の時に江戸で蘭学塾を開く。これがのちの慶應義塾大学の前身となる。諭吉は横浜を見物した際、これまで勉強してきたオランダ語が役に立たないことにショックを受け、これがきっかけで英語を独修。その後欧米への視察を経験し、幕臣となり活躍する。また、『西洋事情』を著し、欧米文化の紹介に努めた。

慶応4(1868)年、蘭学塾を慶應義塾と改称し、幕臣を辞す。明治以降は官職に就かず、国家に依存しない個人の確立を重視した。明治5(1872)年に『学問のすゝめ』を刊行。この本は初編から17編までの総発行部数が340万の大ベストセラーとなった。西洋の思想の紹介に努め、日本の近代化を推進した、明治を代表する啓蒙思想家・教育家である。

 

 

**知られざる偉人・文化情報募集中!**
本サイトでは常時、あなたの町の「知られざる偉人・文化」の情報をお待ちしております!
今後のマンガ制作の参考とさせていただきますので、ぜひ情報をお寄せください。
(いただいた情報の採否・掲載日のお知らせは、本サイトへのアップをもって代えさせていただきます)

▼投稿はお問い合わせフォームよりお願いいたします
https://kyusyu-manga.azusashoin.com/contact/

 

**拡散をお願いします!**
知られざる偉人・文化ものがたりをたくさんの方に知っていただけるよう、よかったらぜひシェアやいいね!をよろしくお願いいたします!

反響が多い偉人は、続編や単行本化もあるかも?!

▼拡散は下記の各種シェアボタンよりお願いいたします

漫画一覧に戻る