【熊本・八代市の偉人】
宝暦3(1753)年、肥後国飽田郡鹿子木村(現在の熊本県熊本市北区鹿子木町)の庄屋宅に生まれる。相符役(年貢納入責任者)、また庄屋であったが、寛政4(1792)年に雲仙の大噴火があり、大津波におそわれた村の救済に尽力した功績が藩に認められ、表彰された。その後惣庄屋に任命され、現在の八代市鏡町が含まれる野津手永へ転任となる。
野津手永は当時、湿地が広がり農業には向かず「お国一の貧地」と呼ばれていた。量平はこの地の財政を建て直すため、また農民に働く場を与えるために、干拓による新田開発を藩に願い出る。これが認められ、量平は短期間のうちに百町新地、四百町新地、七百町新地、と新田開発に成功した。こうして八代海沿岸地域はその3分の2ほどが干拓新地となり、現在は県内でも有数の農業地帯となっている。
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